2008年11月2日日曜日

Japan

10月19日から31日まで短いけれど久しぶりの日本を堪能してきた。アメリカにいると日本の環境の良さが実感できる(特に食べ物)。私は飛び切り贅沢をしようとも思わないし、むしろハングリーな環境のほうがやる気を出せるたちなのだが、日本にいると本当にリラックスしてしまい、仕事のことも考えない生活を平気で送ってしまう(これは結構問題)。

ところで今回はクルドの人たちが作った折鶴を持って広島の原爆ドームに行ってきた。原爆記念館を見終えた後は言葉が出なかったが、本当に多くの人にこの記念館を訪問して欲しいと思うし、記念館のレプリカを世界各地に設置して欲しいと思った。科学者、文学者、芸術家を問わす、繰り返し唱えられてきた平和という言葉は、この凄惨な史実を見過ごして唱えられるものではなかったことを改めて実感することになった。

広島では広島市立大学の伊東敏光さん、松井真由美さん、それに海老沢達夫さん(私の20年前の先生でした)と飲んで、次の日には松尾さんと一緒にお好み焼きを食べた(広島のお好み焼きは初体験であったが、すっかりファンになりました)。また同大学で教鞭をとっている柳幸典さんや、広島現代美術館で個展準備中の祭国強さんにも会えた。いまや世界で活躍中の祭さんーつくばで知り会って以来、久しぶりであったが、流暢な日本語で話をしてくれた。広島大学の体育館で作った作品ーかなりの大きさであったが、美術館の一室に満たされた水面にその影が映しだされていた。

東京では父と共に靖国神社に行ってきた。私は戦争は絶対反対であるが、特定の日本人のみを犯罪者とした東京裁判は、戦争というものをあまりにも簡単に、また一方的に断罪した手段であって、その行為はいつか世界に詳らかにされ、語り継がれなくてはならないと思う。靖国神社内にも記念館があり、戦争に関わる各種資料やヴィデオを見ることが出来、戦争と平和というものについて改めて考えることとなった。先日父からのメールに、”敬子さんに誘われて久し振りに靖国神社を訪ね、あらためて戦争の悲惨さと平和の有難さを実感し、自ら不戦の誓いを固める機会ができたことを感謝している”とあったが、家族や国のために一生懸命働いて今ある日本をきずいてくれた世代にこそ、われわれは感謝と敬意を示すべきである。ありがとう!

2008年11月1日土曜日

日本の実家にマークがやってきた


実家が里親になった猫マーク(丸ちゃん)

2008年10月4日土曜日

New Jersey City Universityでの展覧会

今日ニュージャージー大学のギャラリーで開催されているDr. Midori Yoshimoto女史によってキュレートされた”Kaleidoscope: Abstraction in 10 Ways“展 http://www.njcu.edu/dept/art/galleries/を見に行ってきた。

友人の世良京子さんのトークを聞きにいったのであるが、トークが終わってから、ジャージーシティで行われていたオープンスタジオの展覧会も見る事が出来た。さらには作家4人とキュレーター、アートクリティックと共に近くのベトナム料理店で夕食まで食べる事が出来てとても楽しい時間を過ごす事が出来た。

車の運転があったのでビールを飲むのは控え目にしたが、またニュージャージーやニューヨークの人たちと話したり(飲んだり)できるのを楽しみにしている。

ポーとクマちゃん(私が現在ドッグシッターをしている犬達)夜のお散歩待たせてしまったので明日はたっぷり遊んであげようー。

2008年10月1日水曜日

City Root Opening at Philadelphia


今日無事にオープニングが終わった。雨だったにもかかわらず思ったよりも多くの人が来てくれた。たまたま通りかかった人、車で通過して作品を見てから舞い戻ってきてくれた人ー向かいのアートスタジオから作品を見て、思わず降りてきてくれた(そして一時間以上作品に張り付いていた)若者達ーみなさんありがとう!いい写真が入手できたらアップします。

2008年9月23日火曜日

City Root Arrived to Philadelphia City!

今日朝5時にフィラデルフィア市内(12丁目とChallowhill通りの交差点)にシティルートがインストールされた。ちょうど現在市内で展覧会をされている彫刻家、伊東敏光さんと知り合いになったところだったので, 一緒に見に行ってきた。プリズム効果で太陽があたると彫刻が赤く色づき不思議だった。





プライベートな場所ではあるが、通りに面しているので道行く人が見ることも出来る。3年間は此処に設置できるので、その間に出来れば建築家の友人を含む専門家の人達の力を借りて、より良い設置場所を見つけたいと思っている。プライベートなオープニングパーティーが10月1日5時から7時にあるということなので、このブログを読んでくれている皆さん、ぜひ来てください。

ところで10月15日まで、ニューヨークの写真家瀧上憲二さんとGOHAN Society の妙子さん宅に滞在しながら、2匹の犬と朝夕を共にすることとなった。動物好きの私に取っては憩いのひとときーとなるはずだったが、搬入が終わってブルックリンに帰ってみるとーこのようになっていました。

2008年9月16日火曜日

Trip to Iraq


9月2日から7日まで、イラク北方山岳地帯クルディスタン自治区で2003年からNGO活動をしているアメリカ人の友人、バーバラと共に美術を使ったワークショップをしてきた。今回三つのワークショップの中でひとつはクルド人の人たちの作った折り鶴を広島メモリアルに送るというもの。二つ目はアメリカで作った木の”ロビング”の隣に、イラクの木のロビングをみんなで作るというもので、素材は日本からの大判和紙と、現地で作ったチャコール。三つ目は私のつなぐ壁プロジェクト、100個のオブジェをクルド人の人たちと交換してきた。壁を築くにはまだまだだが、新しい国が加わってよりつながりの輪が広がったと思う。


現地のアーティストとも何人か知り合いになった。フセインが88年に化学兵器攻撃を仕掛けたハラブジャ出身のアーティストとは随分長く話した。皆アメリカで発表したがっているー自分もまだ自由に発表できている身分ではないのだが、彼らに何とかチャンスを与えることが出来ないものか考えている。ニューヨークにイラク人とユダヤ人のハーフ(!)のオーナーがやっているギャラリーがあると聞いたので、今度たずねてみようと思う。

バーバラには2001-02の間に大変にお世話になったので,私なりに恩返しができてとても良かった。しかし、彼女からはいろいろ深刻な話も聞いて、私のようにゲストで来た者には計り知れない、複雑な問題を抱えた国だというのを改めて痛感した。彼女のようにハードも含めて変えようとしている者には常に戦いがある。解決すべき問題の中にはかなり緊迫しているものもあり、大変なストレスを日々抱え込むことになるのだ。私が目指すのはソフトの緩やかな改革であって、決してバーバラのように過酷なチャレンジではないが、個人が共有した貴重な時間が、それぞれの将来に向かって長期的には何かの形で育ってくれることを願っている。

現地の新聞記事 Behdinan Press2008年9月15日版 p.7
http://www.behdinanpress.com/

2008年8月29日金曜日

Ghosts and Shadows展 (トレーラーはここをクリック)



フィラデルフィア郊外のネイチャーセンターで9月6日から来年の1月2日まで”Ghosts and Shadows展”が開催される。フィラデルフィアとニューヨーク近郊からインスタレーションを主とする4人が選ばれた。選考理由は”ポエティックー詩的センス”だそうである。私は現場で納屋を見たときに、そのとてもシンプルな形から、巨大な巣箱が想像させられて、実際の小鳥の巣箱と一緒に、人間の家サイズの巣箱を展示することを考えてみた。


そもそも動物にはそれぞれの体の大きさに対して快適に感じられるスペースというものがあるのではないだろうか。住居というものは、そのような感覚をベースに作らるので、それぞれの動物にはおおよその似通ったサイズというものが存在していると思われる。しかして、人間は時に必要以上に大きな住居を(必要以上の数)欲する傾向があるようだ。納屋の一面に和紙で木のロビングを張り、(幅は8メートル、高さはそれ以上あって巨大であった)その周りに小鳥の巣箱を配してみたー出来上がったインスタレーションを見て、やはりとてもおかしな対比だと思った。


小鳥の巣箱は25個作ったが、各巣箱にフィラデルフィアや、ニューヨークの住所がタイトルとしてつけられている。表面には和紙と木のロビングが貼り付けられているが、それぞれの住所に存在した25本の木の住所がタイトルになっている訳であるーそもそも動物の住居や木には住所がないのであるが、逆に人間の住居に必ず住所があるというのも独特なものだと思った。ちなみに25個の巣箱は実際に使えるようになっている。そうなった場合には会期を過ぎても撤去はしない約束になっているので、鳥達には安心して活用してもらいたいと思っている。

2008年8月2日土曜日

帰って来たCITY ROOT


昨日、ミシガンからフィラデルフィアに到着した8トンのキューブを、ノースフィラデルフィアの倉庫に見に行ってて来た。クラックはいい感じで、なんとか良い展示ができそうだ。来週末に市街に移動予定である。5年間の展示場所は獲得したが,これからが勝負、来年には多くの人に見てもらえるように頑張りたい。

2008年7月26日土曜日

ドロシーという芸術家

夏の間、友人の紹介でブルックリンに住むデザイナーのところに下宿することになった。女性としてはかなり背が高く、独特のセンスを持っている。腕にはいくつもの彫刻のようなアクセサリーをつけていて、どこかエキセントリックな感じ。古いビルの最上階のフロアすべて彼女の住処で、アンティックと彼女の作品でぎっしり埋まっており、夜帰るとたいてい猫のロキシーと一緒にリビングでくつろいでいる。昼間はばっちり化粧してマンハッタンの中心街で仕事に明け暮れる毎日だが、週末は郊外の自然の中でリチャージするそうだ。インテリアデザイナーの仕事をする一方で、かなりの数のジュエリーデザインも手がけている。彼女がデザインしたすばらしいアクセサリーを見せてもらって、ニューヨークに住む芸術家の層の厚さを伺うことが出来た。

2008年7月23日水曜日

Lonesome George

地球上でたった一匹となってしまい、絶滅の危機にあるガラパゴス海がめ(推定60歳から90歳)がお父さんになろうとしている。やったねジョージ!赤ちゃんが一匹でも多く孵りますように。

http://www.reuters.com/article/environmentNews/idUSN2247458920080722

2008年7月22日火曜日

ペンギン

この2カ月間、ブラジルのリオ海岸に死んで打ち上げられたペンギンは過去最高の約400羽ー大部分が巣立ちを終えたばかりの若いペンギンだったそうだ。理由は明らかにされていないが、最近、リオから生きながら動物園に送られたペンギンたちの多くが油にまみれていたそうであるから、人災であると考えないわけにはいかない。このように漂着し、報告されている以外にどれ だけの惨事が自然界で起こっているのだろう。

ニューヨークの人々

昨日の出来事。一週間ほど友人のドッグシッターを引き受けていたのだが、散歩から帰ってきて、鍵がアパートの中にあるのに気がついた。私の住んでいたアパートでは外出のとき鍵が要るが、多くのアパートは、ドアを閉めると自動的にロックがかかるようになっている。折りしもその日、犬の持ち主のルームメイトでヘアスタイリストの裕さんは外出していたので、ベルををしても返事がない。幸いなことに、彼のヘアサロン(Dlala)の場所を知っていたので(私のドローイングをサロンに飾ってくれるということで、下見に行ってきたところだった)、チェルシーからイーストビレッジまで、犬と共に歩いて行った(これは結構ある距離です)。ところが月曜日は定休日で、敢えなく鍵を受け取ることには失敗し、再びチェルシーへ。取り合えずアパートの前で待つことにした。そして私はここで偶然だがすばらしい経験をすることになった。

アパートの前にはデリ(小さなスーパーみたいなもの)やカフェ、ピザ屋などが並んでいる。店の前にたむろしているおい爺さん達は自分たちの椅子を進めてくれて、仲間に入れてくれたー自分達は月曜日から金曜日まで、ほとんど毎日このデリの前に座って話をしているが、毎日何も変わらないーと盲目のアディは話してくれた。30年前には、目の前のビルで働いていた(今は高級コンドミニアム建設中)のだが、難しい病気で視力を失ってしまったそうだ。それでも四人の息子は皆カレッジを出て独立しているー本当に偉いお爺さんだ。それから気のいいアビーおじいさん、プエルトリコから帰ってきたばかり。皆リタイヤして今はのんびりしているが一方でがむしゃらに働いていたころが懐かしくもあるようだ。

結局、私は朝の6時に家をでて夕方6時半まで、この店先にいる事になった。一日の人の流れ、ドックパークで会った人が通勤し、帰ってくる、そして私服でまた犬を散歩に行かせる。忙しそうな人たち、 店先に椅子を並べてたむろするリタイヤ組、たまに行き来する車椅子のホームレスおじさん。ネロ(犬)と私は水やソーダを買ってもらって、お爺さん達の昔話を聞きながら時間を過ごした。そして最後にアディお爺さんが、今日は特別な日になって、とても楽しかった、と言ってくれた。ピザ屋のおじさんは、後払いでいいから好きなものを注文していいよ、と言ってくれたり、ガブリエルという郵便局で働いている男の人とその友人は、自分達が食事をしているカフェから鳥の焼き飯(?)みたいなのを買ってきてわざわざもって来てくれた。それをネロと一緒に食べ始めたところに裕さんが彼女と来てくれたのだった。

朝の散歩だったので財布も携帯も持っていない。持っていたのは本とボトル半分の水だけ。ー携帯や財布がなければ、日常生活が成り立たないように感じてしまっていた自分は、むしろニューヨークの真中で、人情というちょっと古めかしい言葉を噛み締めることになった。ただし、一時ネロはおなかが減ってバナナの皮まで食べる始末ーごめんねネロ。

2008年7月13日日曜日

ニューヨークのスタジオから

夏の間、ニューヨークにスタジオを移して制作をすることにした。といっても、友人の作家とシェアの空間である。場所はクイーンズのロングアイランドシティーPS1のすぐ近く、画廊のある4階のビル、北壁が前面窓で、高い天井ー私はこのスタジオがとても気に入っている。朝は画廊の掃除をしてスタジオで制作、昼はキッチンで簡単な物を作って週末は画廊に来た人をバズインするだけ、フィラデルフィアと比べると破格に高いレントもこのささやかな仕事で大方カバーできている。

ニューヨークは近いようで遠い町だったー随分前から何人かの友人に誘われていたのだが、フィラデルフィアのほのぼのした空気に慣れてしまった私は、なかなか機会を作れなかった。ところが5月、先にフィラデルフィアからニューヨークに移ったシャンから(しつこく)誘われたのと、私のよきサポーターであるMs. Michell Liao(www.liaocollection.com)からも意見をもらって、突然の決断ではあったがとりあえず夏の間制作環境を変えて見ることにした。

6月に制作現場を移して一ヵ月半、この間にニュージャージ大学の教授をしている女性キュレーターが他の作家のアポがあった機会を利用して、スタジオに遊びに来てくれた。まだ現場がしっくりしていなかったけれど人が尋ねてきてくれることはうれしいものだ。

スタジオメイトのシャンはつい先日結婚して、9月には双子の娘のお父さんとなる身である(今は新婚旅行中)。新妻のジーのお母さんが皆を招いて先日フラッシングでパーティーをした。チャイニーズパワーは凄し。(日本人と中国人は仲良くしないのが現在のトレンドかも知れないが、とりあえず意地悪はされていない)

ところで以前シャンのスタジオに遊びに行った時には必ずクラシック音楽がかかっていた。ところがスタジオメイトになって見ると、実はテレサテンの中国語バージョン日本演歌をかけながら(そして歌いながら)制作している。。。ときに一緒になって日本語の歌を口ずさんでしまっている自分もあり、此処はどこなのかと思ってしまうー。(父が結婚前に趣味をクラシック音楽鑑賞、特にチャイコフスキーの悲愴が好きである、といっておいて、実は演歌も好きだったというのと似ている) 実家に報告したところ、早速美空ひばりのcdが送られてきた。これでチャイナと対抗するぞ。

というわけで私のニューヨーク生活が口火を切ったわけである。あせらずマイペースで制作したい。

2008年4月18日金曜日

Beyond Superflat:

Beyond Superflat: Emerging Japanese-American Artists in the Greater Delaware Valley Region

Friday, April 18, 2008Starts at 6:00 p.m.

Midori Yoshimoto, New Jersey City University,Emily Hage, Philadelphia Museum of Art,Nami Yamamoto, Hiro Sakagushi, and Keiko Miyamori
Seminar Room, main building, ground floor

Philadelphia Museum of Art

Free tickets required after Museum admission

2008年4月14日月曜日

人為的ボーダーと芸術の仕事について

私は人為的なボーダーが差別や葛藤を生む一つの原因になったと思うし、なんとか世界を無数のつながり=一つのものと感じること、自分が無くなって周りのものとなること、私なりのユートピアを美術を使ってどう表現したらいいのかと思って来た。けれど、人間の社会から、国家や個人を全く消し去ることは現実にはできない、とも思っているし、社会の(なぜか男性に多い)独裁政治の現実を見せつけられると、その前に立ちはだかっている権力と暴力の関係についても、考えない訳にはいかない。社会の暴力から守られずにいる人間の現実を共有すること。何が正しいのかを考えなくてはならないと感じる。

国と個人の関係はこれから変わって来るかもしれない。教科書はもはや各国の定めた学校にはないからである。世の中には共有できる情報が増えている。美術にはインターネットほどの情報提供スピードはないが、倫理感や美的な感覚に関する、個人レベルでの”緩やかな”変化を起こすことが、芸術の一つの仕事であると思う。

再び大衆について

大衆のエネルギーは社会の変化を作り出す力となって、ときに政治家をも脅かすと思う。現在私たちが使えることができるインターネットーこれは大衆にとっては最大の武器である。特に独裁政権では必死になって情報コントロールをしなくてはならなくなったと思うが、至る所で情報がリークするし、今はこのようなブログを誰でも情報を発信することができる。これは本当に革命的なことだと思う。

大衆について

岡本太郎は現代美術の巨匠の枠から抜け出して、大衆とコミュニケーションしたがっていたように思う。どうしてだろうと思っていたが、彼は既に大衆というものの底知れぬパワーを感じ取っていたに違いない。

美術家がより多くの大衆に向けて、特に地球規模でコミュニケーションしたいという欲求は、今後も強まると思う。というより、これから10−20年の間に、社会全体がひとつの問題と真剣に取り組まなければならない時が来るだろう。それは美術という分野だけの問題ではない。科学者も政治家も、お金を持った人もそうでない人も、地球という船が傾き始めていることを、実感させられる出来事が多く起こると思う。何度も何度もトピックにあがりながら、それでもそれは多くの人にとって、青天の霹靂のように宣告されたと感じる現実で、10年前(20年前)に既に知らなければならなかったと感じるはずの事実だ。そこには経済の問題も、民族、宗教戦争の問題も霞んでしまう、人類にとっての重要な課題がある。生存したければ、解決しなければならない問題である。しかし、相変わらず事態を悪化させるように動く人や国もあるだろう。私はそこで大衆の力、ボーダーを持たない個人の、信じる力が重要な意味を持ってくると思う。

社会の変化とは、たとえ作家が個人の内面に向かって制作するときにでさえ、反映されていくものだと思うし、それを無視することはできない。

2008年4月10日木曜日

@MURAKAMI展 xフリーダ カーロ展

村上隆氏の個展をブルックリン美術館に見に行ってきた。実は4月にフィラデルフィア美術館で”スーパーフラット以降”というトピックでトークがあり、わたしもパネルの一人として参加することになっているので、今月はそのトピックについて何か考えなければーと思っていた。日本の現代美術の最近10年、というのは、雑誌などでは知っているつもりでも、実際足を運んで見た重要な展覧会が少ないし、私にとって当事者として語ることはできない。ただ自分の感じたことを、とにかく書き留めて置いて、後は素直な意見を述べることにするしかないと思った。ちなみに村上氏がジャパンソサエティーで企画した”スーパーフラット”展後、授与された文化賞の理由が、大まかには”おたく文化をアメリカに紹介したこと”ではなかったかと思う。”スーパーフラット”という概念が社会的に浸透しているかはともかく、アニメのキャラクターの人気と混ざって、彼のアートがアメリカや日本で多くの支持者を獲得してきたというのは事実だと思う。

それはそれとして、私にとって印象的だったのは、サブカルチャー云々というより、彼が”経済”というシステムに着眼した展である。個人と資本、あるいは企業の関係をトピック取り上げたといえば、ハンスハーケなどが有名であるが、大方今までは芸術家は枠外にいる啓蒙家だったと思う。村上氏の場合は、自らをその渦中に”取り込んだ”という印象が強い。展覧会場にあるルイトンヴィトンショップを@(コピーライト)MURAKAMI展の中に”入れ子にする”こと自体が確信犯的である。完璧な、実際に売り子が配属されている店舗自体も作品といえるが、むしろその背後にある商談、そして、それにまつわる数字(売り上げの何パーセントを美術館が、ヴィトンが、そして村上氏が、分配するのか)そこを匂わすところに作品のコアがあると思う。そして、それを消費する大衆も彼の作品に組み込まれて行くのである。そこがウォーホルと比較される点だと思う。

かわいい花花、色とりどりの遊園地のような空間、”いのちくん”のヴィデオでは子供番組特有のナイーブ、ピュアでポジティブなメッセージをコマーシャル仕立てで見せている。ただし彼がナイーブでピュアな従来型の作家なら、このような”プロダクション”は作り得ないことは明らかで、これも確信犯的表現となっている。しかしながら、会場にいて、観客は子供を含めてよく作品に見入っており、心をつかんでいるぞ、という感覚があった。(子供ずれが多かった)いろいろなメディア、システムを使って、大衆消費者層に向けて戦略をたてていく、彼のカイカイキキは広告代理店と職人が一緒になったような会社だなと思った。何にせよ、大衆のココロを掴むのに成功した作家として、これから村上氏はどのような展開で社会と関わっていくのだろう。近年の絵画には黒が多く使われていて、興味深かった。(達磨はちょっと安っぽい腕のデザイナーの仕事みたいで??であったが、これは嘗ての日本文化ステレオタイプに対する皮肉でしょうか)展覧会を見終わっての印象は、大方の予想とは裏腹に、泥につかりながら、実は必死で花(MURAKAMI)を差し伸べているような、その花の為にはより過酷な”仕事”も厭わないという意思、それが私には好い印象だった。多数の大企業相手に中小企業の社長が奮闘しているような、そんな感覚が残った。(これがウォーホルの美術を私が見たときとの印象の違いである)

ところで帰りに思い出したのは、フィラデルフィア美術館で行われているフリーダーカーロの展覧会だ。売店では未だかつて見たこともないほど、フリーダのプロダクションが溢れており、多くの人が列を作って購入していた。これは村上氏の展覧会でも全く同じで、そこには殆ど違いがなかったように感じられたが、あまりにも対照的な両者であるため、感慨ひとしおであった。ひたすら個人のために作品を作り続けたフリーダと、経済のシステムを操って“商品”を作ろうとする村上氏、どちらがより深く、大衆の心に入り込むことが出来たのだろう。少なくとも、ある一部の観者にとって、前者は切実な人間の、”生きる痛み”ということに関する深いメッセージを与えたと思う。

2008年4月9日水曜日

シャンヤン展@repetti gallery

先週土曜日にニューヨークで友人のオープニングに行ってきた。Xiang Yangは今、のりに乗っている。今回の展覧会はニューヨーク初個展だったが、とても良い出来栄えで、きっといいレビューがでると思う。クイーンズにある会場もとても感じの良い空間だった。(www.repetti.org) 知っている作品も多かったが、奥にある巨大な壁の作品は圧巻だった。外側のペイント(何層にも絵の具が塗ってある)が、多くの仏陀の形に”剥がされて”いて、その下に仕組まれた一つ一つの小さなビニール袋のなかに、剥がされたペイントが入れられている。中に入ってみると同様に壁前面に小さなビニールの袋がとめられていて、その中に、観客の髪の毛を収集して行く仕組みになっている. 果たして何人のDNAが収集されるだろうか。5月にはフィラデルフィアのsnyderman galleryの個展に向け、Xiangの彼女も一緒になって今は休むまもなく制作している。二人を見ているといいパートナーというのは作家を育てるなと思った。最近は美術を通してできた仲間に後押しされているのを感じる。ニューヨークにはアクティブでいい作家がいて刺激になるというのは事実だ。次は美術館個展だシャンー。

それにしても中国の作家、特に天安門の洗礼を受けた世代のパワーは凄い。彼らはいまだに政府と戦っている-多くの作家は本当の自由が欲しければ海外で発表するしかないだろう。チベットやダルフールで行われている悲劇。スピルバーグやビヨークのように日本の美術家、特に影響力のある作家がどんどんハプニングを起こす時だと思うが、どんなことが行われているのかもっと知りたいと思う。私は自分なりに2004年から進行中のTSUNAGU-KABE プロジェクトでメッセージを送り続けたい。同じ中国出身の蔡國強のメッセージはどのようなものなのだろう。今度nyに行ったときにチックしてみようと思った。

2008年3月21日金曜日

meeting at liao

今日友人のところで今後のCITY ROOTのプロモーションに関するミーティングを行う。取りあえず当面の置き場所と移動の手配をしなくてはならない。大変なことにはなったが、いろいろなアイデアが浮かんでとても充実したミーティングであった。keep going!

2008年3月19日水曜日

City Root が帰ってくる!


“頑張れーもう帰ってくるなよー” 大型トレーラーに積まれた作品“CITY ROOT"をアレンタウンの制作スタジオからミシガンの彫刻公園に送り出したのは二年前, 思えば2005年から個人の制作を中断して、ほぼ丸二年の間パブリックアートのプロジェクトにはまってしまったのは、2004年にフレデリックマイヤー スカラプチュアーパークのコンペで私の作品が選出されて、予算1200万円で野外彫刻を設置することになったからだった。最終選考に残った作家は5名、既にパブリックアートでは経験のある中堅達だった。私は初めてのパブリックプレゼンエーションであったばかりか(その場では言えなかったが)彫刻家でさえなかったので、”野外に2メーター角の氷のように透明なキューブを置きたい”という、あまりにも大胆な計画発表に際しては、建築家の友人にも一緒にプレゼンに来てもらい、私自身はコンセプトでアプローチするしかないと決めていた。

この数年私が学んだことは決して言葉では語り尽くせない。ただ貴重な勉強と経験とネットワークを財産として勝ち得たということは確信できる。困難に直面しているときに助けに来てくれる者こそが、自分の生涯のチームメンバーとなる者だ。そして私は、真の友情をー言葉にするとcornyとなるがー皆から少しずつ分け与えてもらって、なんとか最後まで切り抜けることができたと思っている。そして多額の負債を肩代わりしてくれた家族にも、心から感謝したい。

1200万円というのはパブリックアートでは厳しい予算だ。使用した野外用のプラスティックは高価で10トン買って1000万円使ってしまった。ところが、制作後にキューブにひびが入ってしまい、それがもとになって今回作品が送り返されることとなった。ミシガンの公園ではアバカノビッチの隣に設置される予定だったので、なんとか実現させたかったが、残念である。ひびはプラスチックの”中”にある木の根のプレッシャーからできたもので美しいし、私のオリジナルのコンセプトである都市と根の関係からは、まさに自然の馬力を示すエレメントとして作品をさらに面白くしていると思うのだが、度重なる会議で決まったことで、今回はミシガンに縁がなかったと考えるしかないだろう。ただし幸いなことに支払いの方は先方で持ってくれるそうで、私は結局、数年間制作費を出してもらって、できた作品も手に入れるという、考えようによっては悪くはない結果となった。また、今回の経験を通して、自分の新たな興味のシリーズが展開しそうではある。

新しいプロポーザルで、この作品によりふさわしいhomeを探したい。それにしてもなんだか出来の悪い息子を持ったようなー出来が悪いほどかわいいとは良くいったものだー頑張れCITY ROOT, いつか社会にデビューできる日がきっと来るからね。

CITY ROOT のプロポーザルは http://www.keikomiyamori.com/proe_1.htm
の CITY ROOT| PROJECT IN PROGRESS SPRING 2006 をクリック

2008年3月18日火曜日

memo

宇宙の地図を切って再びつなぐ。切れ間、亀裂、切り裂かれた記憶ー忘却、絶望を否定するために描く。書き換えられる歴史、現実に起こっている個人的な歴史、中心からしか生まれない、必然的な解。瞬間に垣間見ることができたー(ように思える)答えを書きとどめられるように技量を、鍛える。訓練。

2008年3月6日木曜日

書かない小説家

私の友人に書かない小説家がいる。というと言いすぎであるが、知り合ってほぼ二年、当時の私は思うところあって化学の実験のクラスを受講しており、彼は私の優秀なチューターであった。その頃から既に、構想数年の小説がある(今は言えないが、すばらしい筋だ)のだが、今だに第1章すら書き上げていないーといってレイジーなわけではないー昨日カフェで見かけたので声をかけてみたが、相変わらず寡黙に仕事をしている。

子供の頃より神童ぶりを発揮、常に奨学金を得て、最後はUCLAで生化学の博士を取得し、大変に有望視されて大学で研究を続けていたが、突如小説家になる決心をして、黄金のレールからドロップアウトした変わり者である。今はチューターをしながら自分の作品に取り組んでいる。取り組んではいるのだが一向に進まないのは、バルザックの描かれざる傑作のごとく、彼が書くたびにそれを破棄してしまうためである。

はじめの一年、私は彼に何とか作品を仕上げてもらいたいものだといろいろ画策したが、いじらしいほどに頑固な彼は、自分の信じる道を行くだけであった。そこには、解がでなければ、仮説を証明しようとする経過そのものを無効とするかのような、数学的完璧さをめざす姿勢が感じられる。私もスタジオに籠もって、制作と破棄を繰り返していた時期もあるので、彼の気持ちがわからないわけではないーが、そもそもこの世の人間の脳が、完璧など必要としたことはないはずである。

私はちょうど自費出版の画集を一冊(驚くべきことに一冊から注文できるのである)作って、そのお祝いに一人でカフェに出かけたところだったので、とりあえず本という物体にしてみたらどうかと、もう一度薦めてみた。ギャップを見つめる行為は、時に耐え難いものがあるが、その経過をして作品にふくらみを持たせるのもまた、人間の脳のなせる技である。エリック、早くしないとおじいちゃんになっちゃうよ。

2008年3月2日日曜日

イラクに帰っていった友人

イラクでNGOを立ち上げ活動している友人に昨日数年ぶりに会った。バーバラと私はかれこれ6年ほど前のハウスメイトであるが、当時彼女はチュニジアの男性と結婚しており、その困難について話が尽きることはなかった。彼女は政治学の博士で、動物を愛する私の良き友人である。2003年に離婚してイラク入りすることを聞いたとき、思わず引きとめようとしたが、結局今でも現地で活動をしている。金髪で青い目の女性が単身で、しかもアメリカ人である彼女がイラク入りすることがどういう危険を伴うか、誰もが十分に想像できるはずである。アーティストとアクティビストの決定的な差異を思いさせられた瞬間だった。

彼女は私から15個のブロックの小片を受け取って、イラクの友人に配ることになっている。そして、私は彼らから交換物をもらう。その交換物はプラスティックのケースに入れられて、”つなぐ壁”を作る部分となる。またイスラエルの友人からも部分が届く、-私のしていることは儚いアーティストの夢ー仕切らない壁を作ること。その試みに、筋金入りのアクティビスト(彼女は穏健な改革実行派、教育活動家である)が共感してくれるのは、本当に名誉なことだ。4年間作り続けている”つなぐ壁”ー心して完成させるように努力したい。また彼女とは私のロビングを使った作品(アメリカの木とイラクの木、あるいはほかの国の木を一枚の和紙に擦りだす作品)をコラボレーションで作ることになった。彼女はわたしのロビングはイヤというほど見ているのでもう伝授することもない、”イラクの人にも伝授できるわよ”と言われた。頼もしい限りである。

ちなみに彼女はアメリカ軍の早期撤退に懸念を示していたー人々は今もテロリストの自爆攻撃に、ナイフで容赦なく首を切られることに恐怖を持っている、そしてイラクの軍隊は貧しく、身を守れるだけの装備がないのが現状だからである。そして多くの兵隊は、家族を養うために仕方なく軍隊に入っているー現実はどこまでも複雑で、明快な解など見つかり様がなく混沌としている。I am so proud of you - but please be careful...

2008年2月29日金曜日

ニューヨークにて

昨日はニューヨークで二つの展覧会をみた。ひとつはクイーンズのアーティストスタジオでの4人展。彼は日本人の参加者だよ”と出品作家の友人に言われて、その人に日本語で話しかけてみた。しばらく話してから、ほかの日本人の作家(安部典子さん)が会場にいたので話をしていた。後でわかったのだが、私が話していたのはOscar Oiwa ー大岩オスカールさんだった。日本の人気作家の顔を全く知らない私は、失礼にもニューヨークに来る前はどこに住んでいたのですか、とか素人くさい質問をしてお茶を濁してしまった。彼は前は東京、その前はブラジル、といっていたが、大画面の込み入った画面を前にしていた私は、その時点で気がつくべきであった。ごめんなさい大岩さん、現代美術館での個展も決まっている若手のホープであったのにーミッキーの絵のことなど、もっと作品の内容についてお話してみたかったです。ちなみに安部さんには数年前連絡をもらったことがあったが、それきりになっていた。同じビルにスタジオがあるということで、作品や“ギロチン”なる紙裁断機などいろいろみせてもらい、ニューヨークの生活のことも聞かせてもらって楽しいひと時を過ごすことが出来た。

そこから知人の写真家のKenji Takikgamiさんの作品を見に行くため、一転して国連ビルで行われている”Voice of the Artist” 展へ行ってきた。作品はニューヨーク一流シェフのポートレート12点。料理家は多くの血を見て、肉を切り、味覚を伴った美しい芸術を紡ぎだす。穏やかな風情をたたえた彼らと周りに漂う肉の匂い、この拮抗が気品のある、リアルな作品群を生み出していたと思う。また、JALの航空技師で画家でもあるという上田哲也氏の絵画はヤマガタヒロの旧作を思わせる、カラフルで綿密な描写で人気を博していた。謙虚で愛らしい性格の上田氏、このような作家が将来馬力を出して世界で活躍するのかも知れない。(ちなみにヤマガタ氏のアフガンのプロジェクトー力技ではあるがーは凄いものがある。美術と大衆の関係ー美術畑にとどまらず、人を巻き込んでいく力、彼のコンセプトに一貫して流れているものは、実は侮れないものだ。ー私見ではあるが、岡本太郎が最終的に挑んだのが”大衆”ではなかったかー。2010年、世界で多くの人が、一人の日本人作家が仕掛けたエンターテイメントに操られるーそれを唯のイベントとするか、より深い何かを見るものに残してくれるか、作家の裁量が問われる時である)

ところで詳細は控えるとしても、国連ビルのセキュリティーはさすがであった。そして、セキュリティーゲートと職員を背景に、主催者のスピーチが続き、最後に美しいダンスの披露ークイーンズでのオープニングと180度も趣が違うーしかして、これが何故か”ベリーダンス”だった。もうこうなると、般若心経の境地ではないか。会場にいた諸氏、それなりに一体となり楽しんでいた。最後は人生、なんと言ってもギャーティーである。

2008年2月26日火曜日

暴力と非暴力の関係について

暴力と非暴力の関係についてー先日、中国西部で独立を訴えるチベット民族と治安当局が衝突し、チベット仏教の僧侶ら約200人が拘束、多くは殴られるなどの暴行を受けた。暴力を用いずお互いの主張を分かり合う方法、血を流さずに民族紛争を解決する方法、人間が野蛮から解放される方法を人間に授けるものは何かー暴力は暴力を生む。芸術に社会のイデオロギーを変える力はあるだろうか?信じること、個人のレベルで、アイロニーでなく、中心から、誠実に考えること。

独裁国家における政治の力によって、報道以上にひどい現実があるようだ。頑張れチベットの人々ーダライラマ卿の望む平和な世界を共有できる日が来るために。

2008年2月25日月曜日

Memo

Some people make things for the the world, some people make the world for things. それらをすべて受け入れる場所を想像すること、それは一枚の切手の中にさえ存在できる。エバンスの様に。柔らかな暖かい手を差し伸べることができる。残虐な、おぞましい現実を、同様の脳が救済することが出来るかどうかについての考察。人類が直面している問題は自分のものでもあるか?それを完全に忘れ去ることが可能であるかの実験。現実世界との切り結びー

2008年2月24日日曜日

Boat is back


去年の秋からフィらデルフィアのLiao Collectionの Lights展で展示されていたインスタレーション ”Gate, Boat and Light”のボートがスタジオに帰って来た。中国の古い門にのアメリカのカヌーが入って行く様子をライトを天井にバウンスさせて柔らかい感じて作ったのだが、いざ自分のスタジオに持ってくると、20フィートのボートはー大きすぎる。。。手伝ってくれたあつ子ちゃん篤君は言葉を失って(笑って)いた。なんだか船酔いしそうな仕事場になってしまった。。

2008年2月22日金曜日

会話

作品と人生。私は作品を作ることによって自分をなくす。私がどんどん重要でなくなっていくこと、作品の周りにあるものと共に、やさしく、包み込むまれるように、自分が消滅していくこと、それが私にとっては重要なことのように思われる。いろいろな作家がいるーたとえば友人のシャンの場合はまず抑えきれない自分がある。中心は自分にあるということ、どこまでも自分を意識し続けるということ、それは突き進めば狂気となって彼自身をも崩壊させるエネルギーを持っている。私はおそらく正反対の性格をもつ作家となるかも知れない。シャンからは文化大革命時に中国で起こったこと、子供のころの体験を聞けて、いろいろ考えることが出来た貴重な時間だった。また今度ゆっくり話したい。

2008年2月20日水曜日

There is no reason

昨日起こったこと。子供と動物には比較的なつかれやすい-はじめて会ったシャンの子供に真顔で”I like you" と言われたので”I like you, too" と答えた。“なんでぼくがすきなの?”とまた聞かれたので。“理由はないよ”と答えた。

2008年2月15日金曜日

メモ

そこに自分をなくすこと。同一化。つながりの中の一分子として。それをいかに伝えるかという模索。

2008年2月10日日曜日

中国人アーティストのスタジオ@クイーンズ


翌日ライターのジーンを‘アートジャック“して、クイーンズの友人のスタジオに行った。シャンはとても才能のある私より4歳年下の中国人作家でフィラデルフィアからの移民組—とてもチャーミングまた作品がすばらしい。ー政治色もあるにはあるが作品の強度というものがる。これからもっと中国の作家が注目されるようになるだろう。彼らの体験してきたことはすごいーー。(後でわかったことだがシャンは天安門の時に20歳で警官に重傷を負わされた挙句に後で雑誌に写真が載っているのがばれて刑務所に入れられた経験もあるそうだ)ところで彼のスタジオを出てps1に行った。その日は入場料が無料で、私達がある部屋に行ってみると突然の吹雪—これには一瞬すべての部屋がヴィデオインスタレーションかと思うほど美しい風景だったーそれからシャンの作品(彼が2001年にps1に仕掛けた作品—現在も無事に展示中−そしてちなみに彼の作品はほかの美術館にも仕掛けられているそうであるーさすが!)を見て、猛吹雪のなか帰途に着いたーが地下鉄から出てみると吹雪はやんでいた。楽しい日だった。ありがとうシャン!

2008年2月9日土曜日

戦後の日本憲法9条と美術展@ソーホー

ところで先日の展示の大きな意図は、憲法9条をアメリカに広く紹介しようとする目的があったと聞いた。日本では9条(特に2条)を書き換える動きがあるが、私個人の意見としては9条は弄くり回さないが良い。核兵器の実験場になってしまった日本だからこそ行うべき正当な解釈が既にあるはずである。そして抱き合わせとなっている日米安保条約が違憲であることを素直に認めて、9条を平和憲法として世界を説得する権利/義務を有している。いずれにせよ全世界がもういい加減に野蛮な殺傷プロジェクトを撲滅するように働き始めて欲しい。そんな計画を悠長に練っている場合ではないー30年後のプランクトンの問題のほうが最終的にどれだけ人類にダメージを与えるのかわかっているはずである。

ちなみに展示そのものは照屋勇賢氏の“さかさまの”日の丸をくぐって始まり、壁には9条の日本語、その英訳、戦時中の鳥居の残骸を取った下道基行氏の写真連作と続いていく。そして最後は、ヴェネッサ アルブリーのインスタレーションー(自分が怖いとするものを紙に鉛筆で書き、それを備え付けのろうそくの火で焼き、代わりに花をうけとるというもの)で締めくくられていた。

中央の小野洋子さんの乳白色のチェスの作品は美しい光を放っていた−本来の皮肉さ面白さを見れなかった人のために、実際のゲームのヴィデオ取りが設置されていれば良かったのにと思うがーとにかく造形的な美しさが展覧会場で際立っており、戦争をテーマとする美術作品のあり方として私は好きな作品だ。タイトル“Play It By Trust" もスマート。

森村泰昌氏の作品は自分が三島由紀夫に扮し、公衆の面前でスピーチをする様子をヴィデオで放映するものだったがー演説は真に迫っていなかった。(それは彼の意図?)最後にカメラを大衆に向けるとそこに聴衆はなく、その瞬間に凝縮されたリアリティーは、—偽者の偽者は本物—ということなのかも知れない。戦争や自決など現実に起こった史実を“ネタ”として美術家が用いるときに、観客に強いインパクトーコネクションを感じさせるのはとても難しいことだーと感じた。森村氏が三島とともに自己の肉体嗜好に関する執着と葛藤があった結果としての本作品であったなら、それは戦争というテーマからはちょっと逸脱した次元における表現活動で、むしろ彼が三島に扮していく“化粧”のプロセスこそがヴィデオで撮られるに相応しいかも知れず、そこに三島という個性がその時代と結んだ関係性を、氏の切実さと強度を持って示せたのではと思う。

以前富山県で美術館で秘密裏に売却され、何百冊もの図録が焼却処分されたことで社会問題になった大浦信行氏の一連の作品が見れた。これは天皇批判では決してない作品でありながら、確かに一部の人間にとってこの作品群を見ること自体が踏み絵にも似た感情を引き起こすだろうとは想像できた。1995-6年に田部光子氏(かの九州派)が裕仁天皇の同じゼロックスをつかったコラージュをニューヨークで発表したのを見たことがあるが、戦前生まれの彼女はそれを確信犯的に使っていた。私は戦後に生まれ、天皇を神として育てられた世代ではないが、私の父親は士官学校で教育を受けた世代である。戦後も猛烈に勉強と研究をしてアメリカにも渡り、最終的には天皇陛下から二つの勲章までもらってしまった。(お父さんすごいーー)家庭はあまり返りみなっかたから、ひとえに“国のために”頑張ってきたのかも知れない。裕仁天皇が崩御した時、(亡くなったと言ってはいけないと教わった) "記帳に行くぞ!"と言われて真夜中に明治神宮まで出かけたのを今も覚えている。そのとき集まった多くの群衆と直立不動の父の震える手を見て、これはもうただ事ではなかったのだと実感したものだ。愚痴もアメリカの悪口もいう人ではなかったが、朝はいつも早く起き、(84歳になる現在も朝6時から7時まで必ず運動をしているそう) 軍歌を明るく歌いながら子供を起こしていたから、ある意味で日本帝国の存在をポジティブに子供に刷り込もうとしていたのかも知れない。。。(数回”あめ公”と言ってしまったのは覚えている) いづれにしても、そんな感情は持たないアメリカの鑑賞者や若い日本の世代が、そこに織り交ぜられた風俗や歴史性、あるいは全体の形式美によってのみこれらの作品に惹きつけられ、ある特定の顔写真にそこまで過敏な反応を見せた日本の体制を理解できないのは当然であるーそんなことを思った展示だった。

ヴェネッサのインスタレーションの作品は、展示の最後に簡潔に作られていた。どこかで似たパフォーマンスを見たことがあった気もするが、彼女のパフォーマンスは、深い個人の記憶と結びついていて、そこにしか行き着けなかったであろう一抹の切実さがにじみ出ているようだった。私も紙に自分の恐れるものを書かせてもらった。焼かれた灰は何層にも重なっていて花びらのように美しくガラスの器に盛られていく。そして私は祭壇(?)から花を受け取る事が出来るのだ。私はその花を自分が制作している“つなぐ壁“の作品一部に組み込むことにした。"Hopeless"という言葉の焼却と引き換えに受け取ったその美しい花びらをー。一瞬, 松沢宵氏の"死を想え"の名文句が美しい花に重なった。

戦争を経験していない世代の、個人のレヴェルにおける恐怖は、戦争という体系がもたらした恐怖の集積に比すれば儚いものかもしれない。ただしその儚い恐怖の共有を侮ったところに愚かな殺し合いが今も起こっている。その意味で、今の時代に史実を学ぶこと、書き換えられる歴史に興味を持つことは尊いことであると思う。過酷さを含めてーその醜さ、憎しみをいかに忘れていくかを学ばなくてはならない。人はすべてを忘れていくー忘れた後に残るもののあり方で人の生き方が変わる。絶望を知らなかったものよりも、絶望を知るものに希望がある所以はそこにある。少なくとも幸福に向かっていく可能性を、持っている。

清清しい人

仕事があまりなく結構暇になった矢先、知人から紹介してもらったフロリダのライターからニューヨークで憲法9条に関する興味深い展覧会があるから一緒に見に行かないと誘われて、ソーホーにあるPuffinギャラリーに行ってみた。「アトミック・サンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」http://spikyart.org/atomicsunshine/indexj.html なんという硬派なタイトル。。続いて出会ったキュレーターのワタナベ氏は見かけはとてもキュート(失礼)しかして、中身はスマートでピュアーな情熱を持っている人だった。私は久しぶりに清清しい、魅力のある日本の青年に出会って、とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。こんな人がでてきているのを知らないなんてーもっと日本の雑誌を読むようにしようーと思った一日だった。がんばれワタナベ氏。

2008年2月8日金曜日

Lawence Weiner展

ニューヨークの世良京子さんに誘われてホイットニー美術館にローレンスワイナー展に行った。−すごいーやはりアメリカにもいたー不勉強で作品の一部しか知らなかったので私にとってはいい勉強になった展覧会だった。60年代硬派コンセプチュアルアーティストのワイナーはまだ健在である。--ちなみに彼は友達はあまりいなかったそうである、が、2000年のマンホールの作品などチャーミングでわたしもファンになりました。ありがとう世良さん誘ってくれてーこれからもフィラデルフィアから引っ張り出してね。

2008年2月7日木曜日

Peter Weibelのトーク

ピーターウェイベルのトーク "Is there a world beyond media? Art as a rewriting program"をSlought Foundation www.slought.orgに聞きに行く。ナムジュンパイク氏が60年代にヴィデオを使ったインスタレーションをしてから、あと数年で半世紀—その間ヴィデオアートは堂々たる軌跡を残しながら、新世代作家を生み出し続けている。私は日本の大御所山口勝彦氏の講義を大学で受ける幸運に恵まれながらもヴィデオに傾倒することは出来なかったが、結局のところヴィデオをやり続ける人は感性以上にかなり頑固なコンセプチュアルコアがあるという気がする。Peter Weibelは今は大学教授やキュレーターもしているそうだ—すばらしいレクチャーであったがやはり難解なところも多かった。。最後はやはりデュシャンの言葉—確か学生のとき買ったデュシャン全著作があったから読み直してみようかな。