2008年3月21日金曜日

meeting at liao

今日友人のところで今後のCITY ROOTのプロモーションに関するミーティングを行う。取りあえず当面の置き場所と移動の手配をしなくてはならない。大変なことにはなったが、いろいろなアイデアが浮かんでとても充実したミーティングであった。keep going!

2008年3月19日水曜日

City Root が帰ってくる!


“頑張れーもう帰ってくるなよー” 大型トレーラーに積まれた作品“CITY ROOT"をアレンタウンの制作スタジオからミシガンの彫刻公園に送り出したのは二年前, 思えば2005年から個人の制作を中断して、ほぼ丸二年の間パブリックアートのプロジェクトにはまってしまったのは、2004年にフレデリックマイヤー スカラプチュアーパークのコンペで私の作品が選出されて、予算1200万円で野外彫刻を設置することになったからだった。最終選考に残った作家は5名、既にパブリックアートでは経験のある中堅達だった。私は初めてのパブリックプレゼンエーションであったばかりか(その場では言えなかったが)彫刻家でさえなかったので、”野外に2メーター角の氷のように透明なキューブを置きたい”という、あまりにも大胆な計画発表に際しては、建築家の友人にも一緒にプレゼンに来てもらい、私自身はコンセプトでアプローチするしかないと決めていた。

この数年私が学んだことは決して言葉では語り尽くせない。ただ貴重な勉強と経験とネットワークを財産として勝ち得たということは確信できる。困難に直面しているときに助けに来てくれる者こそが、自分の生涯のチームメンバーとなる者だ。そして私は、真の友情をー言葉にするとcornyとなるがー皆から少しずつ分け与えてもらって、なんとか最後まで切り抜けることができたと思っている。そして多額の負債を肩代わりしてくれた家族にも、心から感謝したい。

1200万円というのはパブリックアートでは厳しい予算だ。使用した野外用のプラスティックは高価で10トン買って1000万円使ってしまった。ところが、制作後にキューブにひびが入ってしまい、それがもとになって今回作品が送り返されることとなった。ミシガンの公園ではアバカノビッチの隣に設置される予定だったので、なんとか実現させたかったが、残念である。ひびはプラスチックの”中”にある木の根のプレッシャーからできたもので美しいし、私のオリジナルのコンセプトである都市と根の関係からは、まさに自然の馬力を示すエレメントとして作品をさらに面白くしていると思うのだが、度重なる会議で決まったことで、今回はミシガンに縁がなかったと考えるしかないだろう。ただし幸いなことに支払いの方は先方で持ってくれるそうで、私は結局、数年間制作費を出してもらって、できた作品も手に入れるという、考えようによっては悪くはない結果となった。また、今回の経験を通して、自分の新たな興味のシリーズが展開しそうではある。

新しいプロポーザルで、この作品によりふさわしいhomeを探したい。それにしてもなんだか出来の悪い息子を持ったようなー出来が悪いほどかわいいとは良くいったものだー頑張れCITY ROOT, いつか社会にデビューできる日がきっと来るからね。

CITY ROOT のプロポーザルは http://www.keikomiyamori.com/proe_1.htm
の CITY ROOT| PROJECT IN PROGRESS SPRING 2006 をクリック

2008年3月18日火曜日

memo

宇宙の地図を切って再びつなぐ。切れ間、亀裂、切り裂かれた記憶ー忘却、絶望を否定するために描く。書き換えられる歴史、現実に起こっている個人的な歴史、中心からしか生まれない、必然的な解。瞬間に垣間見ることができたー(ように思える)答えを書きとどめられるように技量を、鍛える。訓練。

2008年3月6日木曜日

書かない小説家

私の友人に書かない小説家がいる。というと言いすぎであるが、知り合ってほぼ二年、当時の私は思うところあって化学の実験のクラスを受講しており、彼は私の優秀なチューターであった。その頃から既に、構想数年の小説がある(今は言えないが、すばらしい筋だ)のだが、今だに第1章すら書き上げていないーといってレイジーなわけではないー昨日カフェで見かけたので声をかけてみたが、相変わらず寡黙に仕事をしている。

子供の頃より神童ぶりを発揮、常に奨学金を得て、最後はUCLAで生化学の博士を取得し、大変に有望視されて大学で研究を続けていたが、突如小説家になる決心をして、黄金のレールからドロップアウトした変わり者である。今はチューターをしながら自分の作品に取り組んでいる。取り組んではいるのだが一向に進まないのは、バルザックの描かれざる傑作のごとく、彼が書くたびにそれを破棄してしまうためである。

はじめの一年、私は彼に何とか作品を仕上げてもらいたいものだといろいろ画策したが、いじらしいほどに頑固な彼は、自分の信じる道を行くだけであった。そこには、解がでなければ、仮説を証明しようとする経過そのものを無効とするかのような、数学的完璧さをめざす姿勢が感じられる。私もスタジオに籠もって、制作と破棄を繰り返していた時期もあるので、彼の気持ちがわからないわけではないーが、そもそもこの世の人間の脳が、完璧など必要としたことはないはずである。

私はちょうど自費出版の画集を一冊(驚くべきことに一冊から注文できるのである)作って、そのお祝いに一人でカフェに出かけたところだったので、とりあえず本という物体にしてみたらどうかと、もう一度薦めてみた。ギャップを見つめる行為は、時に耐え難いものがあるが、その経過をして作品にふくらみを持たせるのもまた、人間の脳のなせる技である。エリック、早くしないとおじいちゃんになっちゃうよ。

2008年3月2日日曜日

イラクに帰っていった友人

イラクでNGOを立ち上げ活動している友人に昨日数年ぶりに会った。バーバラと私はかれこれ6年ほど前のハウスメイトであるが、当時彼女はチュニジアの男性と結婚しており、その困難について話が尽きることはなかった。彼女は政治学の博士で、動物を愛する私の良き友人である。2003年に離婚してイラク入りすることを聞いたとき、思わず引きとめようとしたが、結局今でも現地で活動をしている。金髪で青い目の女性が単身で、しかもアメリカ人である彼女がイラク入りすることがどういう危険を伴うか、誰もが十分に想像できるはずである。アーティストとアクティビストの決定的な差異を思いさせられた瞬間だった。

彼女は私から15個のブロックの小片を受け取って、イラクの友人に配ることになっている。そして、私は彼らから交換物をもらう。その交換物はプラスティックのケースに入れられて、”つなぐ壁”を作る部分となる。またイスラエルの友人からも部分が届く、-私のしていることは儚いアーティストの夢ー仕切らない壁を作ること。その試みに、筋金入りのアクティビスト(彼女は穏健な改革実行派、教育活動家である)が共感してくれるのは、本当に名誉なことだ。4年間作り続けている”つなぐ壁”ー心して完成させるように努力したい。また彼女とは私のロビングを使った作品(アメリカの木とイラクの木、あるいはほかの国の木を一枚の和紙に擦りだす作品)をコラボレーションで作ることになった。彼女はわたしのロビングはイヤというほど見ているのでもう伝授することもない、”イラクの人にも伝授できるわよ”と言われた。頼もしい限りである。

ちなみに彼女はアメリカ軍の早期撤退に懸念を示していたー人々は今もテロリストの自爆攻撃に、ナイフで容赦なく首を切られることに恐怖を持っている、そしてイラクの軍隊は貧しく、身を守れるだけの装備がないのが現状だからである。そして多くの兵隊は、家族を養うために仕方なく軍隊に入っているー現実はどこまでも複雑で、明快な解など見つかり様がなく混沌としている。I am so proud of you - but please be careful...