2008年4月18日金曜日

Beyond Superflat:

Beyond Superflat: Emerging Japanese-American Artists in the Greater Delaware Valley Region

Friday, April 18, 2008Starts at 6:00 p.m.

Midori Yoshimoto, New Jersey City University,Emily Hage, Philadelphia Museum of Art,Nami Yamamoto, Hiro Sakagushi, and Keiko Miyamori
Seminar Room, main building, ground floor

Philadelphia Museum of Art

Free tickets required after Museum admission

2008年4月14日月曜日

人為的ボーダーと芸術の仕事について

私は人為的なボーダーが差別や葛藤を生む一つの原因になったと思うし、なんとか世界を無数のつながり=一つのものと感じること、自分が無くなって周りのものとなること、私なりのユートピアを美術を使ってどう表現したらいいのかと思って来た。けれど、人間の社会から、国家や個人を全く消し去ることは現実にはできない、とも思っているし、社会の(なぜか男性に多い)独裁政治の現実を見せつけられると、その前に立ちはだかっている権力と暴力の関係についても、考えない訳にはいかない。社会の暴力から守られずにいる人間の現実を共有すること。何が正しいのかを考えなくてはならないと感じる。

国と個人の関係はこれから変わって来るかもしれない。教科書はもはや各国の定めた学校にはないからである。世の中には共有できる情報が増えている。美術にはインターネットほどの情報提供スピードはないが、倫理感や美的な感覚に関する、個人レベルでの”緩やかな”変化を起こすことが、芸術の一つの仕事であると思う。

再び大衆について

大衆のエネルギーは社会の変化を作り出す力となって、ときに政治家をも脅かすと思う。現在私たちが使えることができるインターネットーこれは大衆にとっては最大の武器である。特に独裁政権では必死になって情報コントロールをしなくてはならなくなったと思うが、至る所で情報がリークするし、今はこのようなブログを誰でも情報を発信することができる。これは本当に革命的なことだと思う。

大衆について

岡本太郎は現代美術の巨匠の枠から抜け出して、大衆とコミュニケーションしたがっていたように思う。どうしてだろうと思っていたが、彼は既に大衆というものの底知れぬパワーを感じ取っていたに違いない。

美術家がより多くの大衆に向けて、特に地球規模でコミュニケーションしたいという欲求は、今後も強まると思う。というより、これから10−20年の間に、社会全体がひとつの問題と真剣に取り組まなければならない時が来るだろう。それは美術という分野だけの問題ではない。科学者も政治家も、お金を持った人もそうでない人も、地球という船が傾き始めていることを、実感させられる出来事が多く起こると思う。何度も何度もトピックにあがりながら、それでもそれは多くの人にとって、青天の霹靂のように宣告されたと感じる現実で、10年前(20年前)に既に知らなければならなかったと感じるはずの事実だ。そこには経済の問題も、民族、宗教戦争の問題も霞んでしまう、人類にとっての重要な課題がある。生存したければ、解決しなければならない問題である。しかし、相変わらず事態を悪化させるように動く人や国もあるだろう。私はそこで大衆の力、ボーダーを持たない個人の、信じる力が重要な意味を持ってくると思う。

社会の変化とは、たとえ作家が個人の内面に向かって制作するときにでさえ、反映されていくものだと思うし、それを無視することはできない。

2008年4月10日木曜日

@MURAKAMI展 xフリーダ カーロ展

村上隆氏の個展をブルックリン美術館に見に行ってきた。実は4月にフィラデルフィア美術館で”スーパーフラット以降”というトピックでトークがあり、わたしもパネルの一人として参加することになっているので、今月はそのトピックについて何か考えなければーと思っていた。日本の現代美術の最近10年、というのは、雑誌などでは知っているつもりでも、実際足を運んで見た重要な展覧会が少ないし、私にとって当事者として語ることはできない。ただ自分の感じたことを、とにかく書き留めて置いて、後は素直な意見を述べることにするしかないと思った。ちなみに村上氏がジャパンソサエティーで企画した”スーパーフラット”展後、授与された文化賞の理由が、大まかには”おたく文化をアメリカに紹介したこと”ではなかったかと思う。”スーパーフラット”という概念が社会的に浸透しているかはともかく、アニメのキャラクターの人気と混ざって、彼のアートがアメリカや日本で多くの支持者を獲得してきたというのは事実だと思う。

それはそれとして、私にとって印象的だったのは、サブカルチャー云々というより、彼が”経済”というシステムに着眼した展である。個人と資本、あるいは企業の関係をトピック取り上げたといえば、ハンスハーケなどが有名であるが、大方今までは芸術家は枠外にいる啓蒙家だったと思う。村上氏の場合は、自らをその渦中に”取り込んだ”という印象が強い。展覧会場にあるルイトンヴィトンショップを@(コピーライト)MURAKAMI展の中に”入れ子にする”こと自体が確信犯的である。完璧な、実際に売り子が配属されている店舗自体も作品といえるが、むしろその背後にある商談、そして、それにまつわる数字(売り上げの何パーセントを美術館が、ヴィトンが、そして村上氏が、分配するのか)そこを匂わすところに作品のコアがあると思う。そして、それを消費する大衆も彼の作品に組み込まれて行くのである。そこがウォーホルと比較される点だと思う。

かわいい花花、色とりどりの遊園地のような空間、”いのちくん”のヴィデオでは子供番組特有のナイーブ、ピュアでポジティブなメッセージをコマーシャル仕立てで見せている。ただし彼がナイーブでピュアな従来型の作家なら、このような”プロダクション”は作り得ないことは明らかで、これも確信犯的表現となっている。しかしながら、会場にいて、観客は子供を含めてよく作品に見入っており、心をつかんでいるぞ、という感覚があった。(子供ずれが多かった)いろいろなメディア、システムを使って、大衆消費者層に向けて戦略をたてていく、彼のカイカイキキは広告代理店と職人が一緒になったような会社だなと思った。何にせよ、大衆のココロを掴むのに成功した作家として、これから村上氏はどのような展開で社会と関わっていくのだろう。近年の絵画には黒が多く使われていて、興味深かった。(達磨はちょっと安っぽい腕のデザイナーの仕事みたいで??であったが、これは嘗ての日本文化ステレオタイプに対する皮肉でしょうか)展覧会を見終わっての印象は、大方の予想とは裏腹に、泥につかりながら、実は必死で花(MURAKAMI)を差し伸べているような、その花の為にはより過酷な”仕事”も厭わないという意思、それが私には好い印象だった。多数の大企業相手に中小企業の社長が奮闘しているような、そんな感覚が残った。(これがウォーホルの美術を私が見たときとの印象の違いである)

ところで帰りに思い出したのは、フィラデルフィア美術館で行われているフリーダーカーロの展覧会だ。売店では未だかつて見たこともないほど、フリーダのプロダクションが溢れており、多くの人が列を作って購入していた。これは村上氏の展覧会でも全く同じで、そこには殆ど違いがなかったように感じられたが、あまりにも対照的な両者であるため、感慨ひとしおであった。ひたすら個人のために作品を作り続けたフリーダと、経済のシステムを操って“商品”を作ろうとする村上氏、どちらがより深く、大衆の心に入り込むことが出来たのだろう。少なくとも、ある一部の観者にとって、前者は切実な人間の、”生きる痛み”ということに関する深いメッセージを与えたと思う。

2008年4月9日水曜日

シャンヤン展@repetti gallery

先週土曜日にニューヨークで友人のオープニングに行ってきた。Xiang Yangは今、のりに乗っている。今回の展覧会はニューヨーク初個展だったが、とても良い出来栄えで、きっといいレビューがでると思う。クイーンズにある会場もとても感じの良い空間だった。(www.repetti.org) 知っている作品も多かったが、奥にある巨大な壁の作品は圧巻だった。外側のペイント(何層にも絵の具が塗ってある)が、多くの仏陀の形に”剥がされて”いて、その下に仕組まれた一つ一つの小さなビニール袋のなかに、剥がされたペイントが入れられている。中に入ってみると同様に壁前面に小さなビニールの袋がとめられていて、その中に、観客の髪の毛を収集して行く仕組みになっている. 果たして何人のDNAが収集されるだろうか。5月にはフィラデルフィアのsnyderman galleryの個展に向け、Xiangの彼女も一緒になって今は休むまもなく制作している。二人を見ているといいパートナーというのは作家を育てるなと思った。最近は美術を通してできた仲間に後押しされているのを感じる。ニューヨークにはアクティブでいい作家がいて刺激になるというのは事実だ。次は美術館個展だシャンー。

それにしても中国の作家、特に天安門の洗礼を受けた世代のパワーは凄い。彼らはいまだに政府と戦っている-多くの作家は本当の自由が欲しければ海外で発表するしかないだろう。チベットやダルフールで行われている悲劇。スピルバーグやビヨークのように日本の美術家、特に影響力のある作家がどんどんハプニングを起こす時だと思うが、どんなことが行われているのかもっと知りたいと思う。私は自分なりに2004年から進行中のTSUNAGU-KABE プロジェクトでメッセージを送り続けたい。同じ中国出身の蔡國強のメッセージはどのようなものなのだろう。今度nyに行ったときにチックしてみようと思った。