2010年1月3日日曜日
Happy New year
12月の末に日本から帰国してばたばたと年末の仕事を片付け、ニューヨークの友人宅で今年のニューイヤーを迎えた。
(1/13追記:その時のことがwebマガジンの記事にーThe Gohan Societyの瀧上妙子さんのコラムです)
去年の年末は日本で一ヶ月ほど滞在し、また父が冥土の土産に万里の長城を歩いてみたいーという希望もあって北京にも行ってきた。とてもユニークなガイドに案内されて一通り観光名所を廻ることができたし,夜にツアーを抜け出して、北京の友人に若者の集まるはやりのスポットに連れて行ってもらった。公園では太極拳に代わって、あちこちで社交ダンスを楽しむ市民のグループがある。ただ残念なことには,鳥の巣の会場を見学した際に当初の重要なメンバーであったアイウェイウェイの名前を聞くことはなかった。又,至る所でおそらくは少数民族の人たちが観光客相手に物売りをしているー北京のいくつかの顔を垣間みるツアーだった。
日本では音楽家の友人の三浦能さんとその奥様三浦智恵ちゃんと茨城の息栖神社に水取にいったり、柏の知る人ぞ知るサロンに連れて行ってもらったりした。そこでのアメリカに関する情報には大変驚いた。ー世の中には報道されないされない様々なことが行われている。その情報を知ることは、ある意味でとても大切である。しかし、もっと重要なことは、それを知って(あるいは、知らなくても)どう行動するか、にあると思う。このようなセミナーや話し合いを通じて、世の中を私利私欲でなく、大きな目で見て行動する人たちが増えていけばいいと思う。
展覧会は水戸芸術館のヨーゼフボイス展を見た。 ボイスに関しては、実は私がまだ美術を専門とする以前、ある研究グループを通して針生一郎さんのお宅で国際自由大学の構想を聞いた時知った作家だった。その時は武蔵野美術大学の学生が熱心に討論していたのを思す。ボイスやシュタイナーについて知って25年近くたったが、今振り返ってみると、彼のいう“社会彫刻”の考え方に、私も影響を受けてきたように思う。
ところで今年の6月に彫刻家で広島市立大学の教授である伊東敏光先生から、彫刻論の講座に講師として招待していただいた。ちょうこくろん、、といっても私は正当な“彫刻家”ではない。私の考える”彫刻”の意味と社会との関わりを通した芸術活動の役割について、いくつかの作家を例に挙げながら講義ができればいいかなと思っている。いずれにしても若い人たちと、個人・芸術・社会について考えることは、私にとっても良い勉強の機会となると思う。
(1/13追記:その時のことがwebマガジンの記事にーThe Gohan Societyの瀧上妙子さんのコラムです)
去年の年末は日本で一ヶ月ほど滞在し、また父が冥土の土産に万里の長城を歩いてみたいーという希望もあって北京にも行ってきた。とてもユニークなガイドに案内されて一通り観光名所を廻ることができたし,夜にツアーを抜け出して、北京の友人に若者の集まるはやりのスポットに連れて行ってもらった。公園では太極拳に代わって、あちこちで社交ダンスを楽しむ市民のグループがある。ただ残念なことには,鳥の巣の会場を見学した際に当初の重要なメンバーであったアイウェイウェイの名前を聞くことはなかった。又,至る所でおそらくは少数民族の人たちが観光客相手に物売りをしているー北京のいくつかの顔を垣間みるツアーだった。
日本では音楽家の友人の三浦能さんとその奥様三浦智恵ちゃんと茨城の息栖神社に水取にいったり、柏の知る人ぞ知るサロンに連れて行ってもらったりした。そこでのアメリカに関する情報には大変驚いた。ー世の中には報道されないされない様々なことが行われている。その情報を知ることは、ある意味でとても大切である。しかし、もっと重要なことは、それを知って(あるいは、知らなくても)どう行動するか、にあると思う。このようなセミナーや話し合いを通じて、世の中を私利私欲でなく、大きな目で見て行動する人たちが増えていけばいいと思う。
展覧会は水戸芸術館のヨーゼフボイス展を見た。 ボイスに関しては、実は私がまだ美術を専門とする以前、ある研究グループを通して針生一郎さんのお宅で国際自由大学の構想を聞いた時知った作家だった。その時は武蔵野美術大学の学生が熱心に討論していたのを思す。ボイスやシュタイナーについて知って25年近くたったが、今振り返ってみると、彼のいう“社会彫刻”の考え方に、私も影響を受けてきたように思う。
ところで今年の6月に彫刻家で広島市立大学の教授である伊東敏光先生から、彫刻論の講座に講師として招待していただいた。ちょうこくろん、、といっても私は正当な“彫刻家”ではない。私の考える”彫刻”の意味と社会との関わりを通した芸術活動の役割について、いくつかの作家を例に挙げながら講義ができればいいかなと思っている。いずれにしても若い人たちと、個人・芸術・社会について考えることは、私にとっても良い勉強の機会となると思う。