2010年9月21日火曜日

アフリカから帰って思うこと


Naro Moru村では,豊かな家庭でも水は貯め水、無駄にするような資源はほとんどない。畑で取って来た野菜を少ない水で丁寧に洗って、薪で料理する。野菜の皮は家畜にあげて、その他のゴミは薪と一緒に燃やす。

ほとんどの家庭にはトイレもなくて、離れたところに建っている共同のもの(水は使用しない)を使っている。暗闇の中でもそこに到達しなければいけないーしかし、ほとんどの人は、全く問題なく暗闇を歩くことができる。”敬子は闇を歩けないからー”と言われたが、人間って本来そういう能力があったのだなーとあらためて思った。

ケニアだけでも42の部族があり,2008年の選挙のときには,凄惨な争いが起こってしまったそうだ。その悲劇から学び、現在は徐々に部族間でも交流が生まれようとしている。

ピーター先生から、とても心に響くメッセージと学校のレポートを見せてもらった。そこには、“もし敬子があのときの選挙の前に来て、みんながConnection"というコンセプトを享受できたら、ケニア人の歴史が変わっていたかも知れない”と書かれてあった。それは勿論、言い過ぎであるーそれでも、そのことばの中には、みんながつながって,ひとつの共同体として進歩していきたい、という地域のリーダー達の切実な願いを感じることができる。

そんなこともあって、今回、予想以上に私のワークショップが、教育の現場で生かされたことは本当に光栄だし、美術活動が、ただ美しいものを作り出すという役割を超えて、場合によって人々の考え方に影響を与えることができるという貴重な経験をさせてもらった。

いろいろなことを学んで、この小さな村と人たちとつながりを持てたことに感謝したい。これからも,この地域にいろいろな人が訪れますように。私でよければ、現地のリーダー達を紹介します。

ニューヨークに帰って、自分の生活を顧みて,時々感慨に耽っている。

2010年9月20日月曜日

Naro Moru村最終日ー樹のロビング

最終日,ナイロビに向かう前に樹のロビングのワークショップをしました。例によって、ピーター校長みずからスワヒリ語、キクユ語に通訳してもらいます。

木の肌は人の顔や、個性のように、全くおなじものはないけれど、日本で行ったロビングも、アメリカで行ったロビングも、そしてケニアで行ったロビングも、また、都会で行ったロビングも、森で行ったロビングも、ほとんど見分けがつきません。そして、アーティストである私が行ったものも,子供が行ったものも、あまり変わって見えません。

世界をそのようにとらえることができれば、あるいは争いごとも少なくなるのではないのでしょうか?






Mt. Kenya Afforestation Project

2日目はUKベースのNGOが主体となって、地域のリーダーと共に行っているMt. Kenya Afforesation Projectを見学に行ってきました。私も苗の手入れをさせてもらいました。

(オーストラリアからボランティアに来ているJasmynさん)
(様々な樹の苗)
(たっぷり水をあげて育てます)
(苗木は植林されるのを待ちます)
(左)焼かないブリックをつくっているところ,このブリックを使って、将来Education Centerをつくる計画です!

Jupiter Junior Schoolsでのワークショップ




(朝8時の朝礼でケニアの旗を揚げます)

校長先生で、地元の教育サポーターでもあるピーターさんと、その奥さんジュリアさんが始めたJupiter Junior Schoolsは始まってまだ3ヶ月の学校で,校舎もまだ建設中の部分が多いです。無料の公立学校とは違いますが、ほぼ経費のみでより高い教育が受けられるという評判で入りたい生徒のウェイティングリストがあるほど人気の学校です。

(右)Julia先生   (Cecilia先生とこどもたち) (生徒の誕生日ケーキをもらう)
(校庭でピーター先生とわたし)

ここでは、ピーター校長のリクエストで、まず鶴を折りました。紙がなく、使い古したノートを正方形に切るところから始めます。カラフルな雑誌でもあれば良かったのですが、なかなか入手の難しいところでした。アメリカにはあんなに余っている紙なのに、この地域では資材が不足しています。本も大変貴重でした。解っていれば持って来れるだけ持って来たのにーそれでもみんなで、world peaceを願って作りました。

マップを見せて日本とアメリカの場所を確認。日本がどこにあるのか知ってる子供はほとんどなし!



続いて、いよいよ『つなぐかべ』の説明に。ピーター先生が、"connection"の大切さについて熱弁を振るいます。ひとつの木の根の中から掘り出したブリックのひとつひとつが、世界に散らばって、そこから交換されるものたちが集まってできる『つなぐかべ』。ボーダーとはアイデンティティーであったり、人種であったり、宗教であったり、。。でも境界だってお互いを尊重すれば、争いの種ではなくて、ひとつのつながりになり得るのだ、という願いをこめた『つなぐかべ』。ケニア山の麓の村ともつながります。 まず、ピータ先生と交換!



さて、その次は子供達、校庭を探して、交換物を探します。それからわたしがフィラデルフィアから持って来たブリックと交換!『このブリックは世界に散らばっていくし、そこから集まったものがひとつの壁になるよ。いろんな場所や人をつないでみよう!』

        

ケニアで樹のロビング

        

今回の旅行の目的のひとつである樹のロビングをナイロビ市内、Naro Moruの村、ケニア山の麓にあるMt. Kenya Reforesting Project内の敷地などでしてきました。

2010年9月18日土曜日

Naro Moruのリーダー達

私が地域のプロジェクトや学校での活動を、安全に行うことができたのは、地域のリーダーの方々の助力なくしてあり得ませんでした。

(下)Mr. Francis Maina Machira氏,長年 The Mount Kenya Reforestation Projectのディレクターをされていました。現在は地域のリーダーとともに新しいNGOを立ち上げるべく奮闘されています。

 
















(左)コミュニティーのリーダーのジョンさんの家の前で、家族の方々と共に。(ロビングもさせてもらいました)






(下)Jupiter Junior Schoolsの代表Peter Gichuru 校長先生,フィラデルフィアのブリックの小片と学校の敷地から見つけた小石を交換ー"We are connected!"つなぐ壁の一部となります。



















短い間でしたが、多くのことを学んで、また,私の方からも伝えることができたと思います。活動については今週に報告していこうと思っています。

ケニアで誕生したアーティスト?

















様々な大陸から樹のロビングを集めることが目的のひとつにあったので、今年はスタジオの外に出かける機会が多かったです。そして、さきほどアフリカ大陸から帰ってきました。



















ケニアは実は2回目の訪問となります。25年前の夏、その時まだ私は美術専攻の学生ではなかったのですが、ケニアとタンザニアに動物の写真を撮りに行ってきました。ところが帰国してから熱帯熱型のマラリアが発症、その後も腎臓や肝臓の調子を悪くしてしまい、しばらく絵を描くことを心の支えとしていた時期がありました。紆余曲折の後、美術大学に入学しましたが、最終的には専攻だった日本画を離れて、形式の付けようのない不可思議な美術活動に専念するようになって現在に至っています。

考えてみると,あのときケニアに行くことがなかったら、このような形で美術の世界にはいなかったと思います。その意味で、私はケニアで誕生したアーティスとということになるのでしょうか?

2010年9月9日木曜日

ケニアへー

今日から9月15日までの予定でケニアに行ってきます。樹のロビングを取って、植林もしてくる予定です。コンピューター携帯電話は持っていかないことにしました。

また帰ったら写真などアップします!